個人的には、mbtiが宗教であるのかは、その受け取り手次第で決まると思います。
というのも、次のように思うためです。
第一に、科学的であるということがポパーの定義に沿っていることであるとするならば、突き詰めると反証可能性が無いですし、ユングの著作には「神」が出てきたりするので、論理それ自体は、哲学的・神秘的な方面の思想だといえると予想します。
ただ、わたしはユングの研究者ではないので厳密にその根拠を説明できませんし、たとえどんなに詳しい専門家であっても、究極的には、彼の理論がどのような系譜上に位置づけられるのかについては解釈が分かれるところかとも思います。
第二に、何かを信じないと生きづらいので、プラグマティックな立場に立ち、生きるための手段・道具としてmbtiを信じてみる場合について述べます。
mbtiはビジネスでよく用いられることからもわかるように、道具的な性質を高められたものであるように思います。
すると、宗教とは、「依存」が前提にあるので、mbtiに依存せずこちらが主人となりこれを用いればmbtiは宗教であるとはいえないと思います。
反対に、苦しみから逃れる為にmbtiを手放せなくなるのは依存であり、そのようにmbtiが主人となってあなたを用いた場合、mbtiは宗教であるといえるのかもしれません。
以上から、mbtiが宗教であるのかは、その受け取り手次第で決まると思うという話でした。
お読みいただきありがとうございました。