MBTIは宗教か?

個人的には、mbtiが宗教であるのかは、その受け取り手次第で決まると思います。

というのも、次のように思うためです。

第一に、科学的であるということがポパーの定義に沿っていることであるとするならば、突き詰めると反証可能性が無いですし、ユングの著作には「神」が出てきたりするので、論理それ自体は、哲学的・神秘的な方面の思想だといえると予想します。

ただ、わたしはユングの研究者ではないので厳密にその根拠を説明できませんし、たとえどんなに詳しい専門家であっても、究極的には、彼の理論がどのような系譜上に位置づけられるのかについては解釈が分かれるところかとも思います。

第二に、何かを信じないと生きづらいので、プラグマティックな立場に立ち、生きるための手段・道具としてmbtiを信じてみる場合について述べます。

mbtiはビジネスでよく用いられることからもわかるように、道具的な性質を高められたものであるように思います。

すると、宗教とは、「依存」が前提にあるので、mbtiに依存せずこちらが主人となりこれを用いればmbtiは宗教であるとはいえないと思います。

反対に、苦しみから逃れる為にmbtiを手放せなくなるのは依存であり、そのようにmbtiが主人となってあなたを用いた場合、mbtiは宗教であるといえるのかもしれません。

以上から、mbtiが宗教であるのかは、その受け取り手次第で決まると思うという話でした。

お読みいただきありがとうございました。

とあるintjからみたenfjの印象

enfjは、雲の上、別世界の人であると感じました。

明朗、活発、運動神経抜群、勇敢、勝負強い、気遣いもできる、モテそう、超人気、熱い、コミュ力がとても高い、謙虚、出しゃばらない、誰も傷つけない、上の者を立てる、下の者の面倒を見る、上の者にも下の者にも信頼される、等、自分にない要素をすべて持っているので、眩しい、と思っていました。

正直、自分に自信があったりよっぽど理性を失っていない限り、遠くから眺めるのが精一杯かもしれません。

初対面では、話しかけられたら、おどおどしたり慌てたりフリーズしたり警戒したりしていました。しかし、話して慣れてくると、とても心地良かったり、こちらの苦手を察知して補ったりしてくれるように感じました。

運動部のキャプテンや人事に多かった印象です。

学生時代、いつも一緒にいるわけではないのですが、憧れたのはenfjだったような気もします。無い物ねだりかもしれません。

彼らは、エースとか、キャプテンとかであり、地味で素朴で努力家で面倒見が良い印象です。

例えば、intjは、よく体育の時間に、一人取り残されるのが定石だと思うのですが、そういう時に、気軽に人々の輪に呼んで入れてくれたり、外で遊ぼうと誘ってくれたり、目をつけられて虐められないようにとさり気なく庇護してくれるのがenfjでした。

彼らは、誰に対しても平等にそうなので、独立的なintjとしては、偽善者かよ、評判上げたいだけかよ、干渉してくんなよ、と思うこともあるのですが、それでもその気遣いの技術の高度さに感動したりしました。

彼らは、体育会系の世界では無双するので、体育会系の世界での弱者であるintjは、そういう世界に適応したい場合は、彼らに守ってもらったり、教えてもらうのが良いと思います。彼らは高圧的でなく、褒めて伸ばす、常識的で良心的である印象です。というより、intjはプライドを捨てて手取り足取り教えてもらうしかない気がするのですが。

学生時代は、体育の先生やキャプテンの友人には、大変お世話になりました。

お礼をしたい場合は、代わりに、役立つ知識を伝えたり、enfjの抱える問題の解決案を提案したりすると、プライドの高くないenfjなら喜んでくれるかもしれません。

また、野心的でもあるので、闘争的でない社交スキルによって社会的地位を獲得しようとする印象です。ですが出しゃばらず縁の下の力持ちとして秩序を保とうとする感じでしょうか。intjが結果を出してのし上がろうとするのと対称的であるので、そこに軽蔑や不信感を覚えたりするかもしれません。ですが、専門分野が被らないので、互いに対立することが少なく、平和な関係を築きやすいようにも思います。恐らく、intj同士やentjとだとこうはならないだろう、という関係が結べる気がします。

intjが独占欲や支配欲を発揮すると、嫌がる傾向があるように思います。てすが、相手がintjの実績を尊敬している場合は別かもしれません。

また、協調性の無い行動をすると、諭されたり、距離を置かれたりしたこともあります。空気を読んでもこれに従いたくないintjからすると、そこには反発心を覚えるかもしれません。

昔、ある教師に反抗したことで恐らくその態度が生意気だという理由から皆の前で名指しで怒鳴られことが何度もあるのですが、友人のenfjはそういう時、ほら見たことか、と呆れて、こちらの為に後で裏でこっそり先生に謝る、というようなことをしました。ちなみに友人は、学校から、パンフレットに載ったりと、かなりの優等生として扱われていました。

こちらからすると、親切の押しつけ、過干渉と感じるので、罪悪感や感謝を感じることは無いのですが、そうは思いつつも、現に助けられたことは何度もあります。

彼らは、いわゆる理想的な教師っぽいかもしれません。もっと周りの人を大切にしないといざという時に助けてくれる人が居なくなってしまうよ、といわれたことは何度かあります。そして、現に気を抜くとそうなりがちなのがintjかと思います。

ただ、彼らは理想を演じたり、他人の期待に応える為に、常に自然体でなく、自分の役割を演じている印象です。ゆえに、素で接することに慣れてくると、そのストレスをこちらへ愚痴や文句等で感情的に発散されることに怒りを覚えていました。彼らなりの甘えであることは理解できるのですが。

対して、彼らを助ける方法ですが、Teで問題解決をすることでしょうか。Fiによる個性的な趣味や倫理観も喜んでくれたりする気がします。

※一個人の経験話に過ぎないので、一般化は出来ません。記憶というものもバイアスのかかりやすいものだと思うので、エンターテイメントとして楽しんで頂ければ幸いです。

【追記】

近ごろ別のENFJのかたと接点を持ちましたので追加の印象を書かせていただきます。

まず、Niがあるので(個人差はありますが相対的に)認識の視野が時空ともにかなり広いこと、物事の裏側や本質をみることに人生の軸があり、これは同じNiユーザーとしてINTJは共感や感銘を受けるのではないかと予想します。

異なる点は、Feがあるので、優しいことと大衆道徳を重んじることです。Teと異なり非道なことを嫌います。ただし、この優しさは扇動という打算も入っていると思います。人間関係において利用されたり裏切られたりすることを何度も経験してその度に傷ついては回復し、諦めずに人間の善性を信じ続けていて辛くとも明るく振る舞うという印象です。利己心と悪意を徹底して嫌います。

また、非常にロマンチストで理想主義で熱いです。甘い言葉をよく言います。関連して、とにかく受け身でか弱い性格・見た目の女性(まれに男性)が好きで、力ある男性(まれに女性)には厳しく、か弱い女性(まれに男性)には優しくするという贔屓をするため、そのような層にモテる印象です。表面的には平等を装っていても美醜や能力で付き合う人を選別するのでその点は人によっては差別的に感じるかもしれません。すると、恋愛(色情)の問題も多くなります。八方美人的に振る舞いながら人を厳選するので、多くの人から嫉妬や恨みを買ったり攻撃を受けたりしていました。本人も浮気性で目移りしやすいです。人の悪意に触れると感情的にも不安定になりやすい印象です。INTJには全く縁のない世界です。

自分より力のある人の利己心や悪事を嫌いますが、そのような人に庇護してもらおうと媚びるしたたかさもあり、懐柔されたり騙されたりしやすいように思います。

膨大な数のファン(信者)がいます。

お読みいただきありがとうございました。

entjを演じるとなぜ疲れるのかという話

毎回窮地に陥ると、現実的になろうと考え、計画を立て、バリバリTeを使ってENTJ的に頑張るのですが、続きません。権威主義的な人々(依存的な人々)が周りに集まってきて気が狂いそうになる為です。一人にしてくれ、自分でどうにかしてくれ、と思ってしまう次第です。

ナチュラルボーンなENTJは彼らを支配し面倒を見れる。しかし、INTJは独立独歩をよしとするので、依存が耐えられない。吐き気がする。少し自閉的で神経症傾向が高いのかもしれない。

現実的であるよりも夢想的であるほうが落ち着くのですが、これを否定して頑張る必要があると判断した場合、自身に鞭打って頑張るのもINTJかなと思います。すると、また理想と現実の間で苦しむのですが。

それと、TeとFiがより葛藤します。

以上から、entjを演じると疲れます。

お読みいただきありがとうございました。

intpを演じると疲れるという話

intpに憧れて、真似をしてみましたが、正直敵わないし持たないし生きた心地がしません。

intjである自分から見たintpは、かなり知恵があり視野が広いので、問題解決能力が高く要領が良く、また、外部からの刺激に強く論理的でダブスタが無い。

あと感情に左右されずコンピュータっぽい。情報処理能力がかなり高い。享楽的。

戦いは直接的に幸福に寄与するものでなく寧ろこれを破壊するものだと知っている。

intjは不器用で視野が狭く外部からの刺激に弱い。

intpに比べて外部の論理や自身の感情や欲に左右され、情報処理能力が劣るため、手っ取り早い解決策である力や直観的な美に享楽や意義を見出しがちである。

すると、自分では気づかないが、やはり世間から見るとどこかズレているらしく、そこにつけ込んでくる者をかわせない。そして自らも別の意味で打算的である。

そう感じます。

お読みいただきありがとうございました。

intpの理論は合理性に優れているが実践的に劣る

intpにとって、「問題解決の提案はするが、これを実行する勇気や覚悟や責任は持ちたくない」というのが本音な気がします。

ただ、intjやentj的には、彼らの問題解決案の精巧な合理性には感心し、これを理想としたいと思うものの、現場とかけ離れた机上の空論っぽいので上手く機能しなければ駄目な理論だと感じるかもしれません。

intp的には、理論に有用性を求めておらず、駄目だと評価されるのは心外かもしれませんが。

お読みいただきありがとうございました。

intjとはどんな性格か?

基本疑り深く人間不信なので、動物を、特に、猫などの適度に自分に構ってくれる気まぐれなタイプを好むことが多いと予想します。

彼らの前では、弱い自分をさらけ出して素でいられるからかもしれません。

また、子どもや老人や女性や貧者や虐げられている人(自分の近くにいる人間に限る)に同情し彼らを守ろうとすることが多い気がします。

自身の弱い部分を強い武装で守っている、という構造が自分の内に出来上がっておりそれを外に再現するからかもしれません。

但し、共感はできないと予想します。

つまり、Feが働かないので、相手の感情は分からないのではないでしょうか(察することができないのではないでしょうか)。一方で、Fiがあるので、自分の感情はわかるのではないでしょうか。

よって、所詮自己満足であることや、親切の押し売りにならないかどうかを気にするかもしれません。なるべくそうならないように相手に質問したり相手を分析したりするかもしれません。

それでも、弱者の守護等の大義は、突き詰めれば所詮、自己満足や私的な欲望だと思っているので、自身を神格化・正当化したり、見返りを求めるということはないと予想します。

派生して、例えば、需要から自身の供給するものを決めるというより、供給するものを徐々に需要のあるものへ変化させていく、という方式をとるかもしれません。「先に見返りなく与えること」を重視するということです。

それゆえ、利己的ではありますが、自身のことは自身でやる自立的な面があり、一般より自己犠牲的・献身的・愛が重い傾向にあるのではないでしょうか。

すると、年齢のわりにかなり大人びていて、色々悟って世捨て人のような仙人のような感じであったり、繊細で傷つきやすく優しい印象があるかもしれません。

そのような性格傾向は、自身の内に存在する小さく幼い子どもを、それとは別の大人の自身が面倒をみることで精神的なバランスを保っていて、そうしなければならないのは子どもの時期のトラウマを引きずっている、という心理学の理論などにありそうな解釈もできるかもしれません。

全体的に、防衛的で懐疑的で利己的で自閉的だと予想します。

お読みいただきありがとうございました。